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南部煎餅の謎 :: 2010/06/22(Tue)

森県南部地方と岩手県県北地方で煎餅と聞けば、この地に住まう方は、
みみのある南部煎餅を思い浮かべるであろうが
全国的にみて、珍しい煎餅であることを知ったのは、仕事の為青森を
離れたときスーパー等にみみのある見慣れた煎餅が置いてないことに
気づいたときでございました。
(現在は、ロハスな雑誌等で取り上げられ販売されているようです。)


ウィキペディアによると南部煎餅の創始は三つ掲載されているが

長慶天皇創始説
南北朝時代の頃、南朝の長慶天皇が名久井岳の麓(現・三戸郡南部町)、
長谷寺を訪れ、食事に困った時に家臣の赤松助左衛門が近くの農家から
そば粉とごまを手に入れ、自分の鉄兜を鍋の代わりにして焼き上げたものを
天皇に食事として出した。
この食べ物が後の南部せんべいの始まりであるとする説である。

さらに天皇はその風味を非常に好んで度々、赤松に作らせ、
天皇は煎餅に赤松氏の家紋「三階松」と南朝の忠臣、
楠木正成の家紋「菊水」の印を焼きいれることを許したという。
現在の南部煎餅には確かに「菊水」と「三階松」の紋所が刻まれている。
昭和20年代初頭に、八戸煎餅組合によって「南部せんべい」の
創始起源の再整理が行われた際、この説を中心に整理された。

八戸南部氏創始説
応永十八年(1411)の「秋田戦争」で八戸軍(根城南部)の兵士たちが
戦場でそば粉にごまと塩を混ぜ鉄兜で焼いて食べたところ、
将兵の士気大いに上がり、戦勝することができた。
その後多くの合戦に携行され、南部せんべいの始まりとなったとする、
「八戸南部氏創始」説もある。

ここまでウィキペディアより引用


このブログでは、キリスト創始説をオシたい。


この煎餅の両面に模様が型付けになっているが、以前には、松ヶ枝が
三段乃至五段つけてあって、その裏面には何とユダヤ章がついていたのである。

今は誰人にいたずらか知らぬが、「菊水」とか他の模様をつけるようになったが、
ものを知らぬということは恐ろしいことではあるまいか。
この煎餅こそは、ユダヤ人との関係の深いものであることをしらぬためである。


旧約聖書の「民数紀略六章三節ー二十一節」に次の文がある。

「モーゼの律法の一つに、俗を離るるの日の満たる時、幕屋の門に
携えて行く供物のなかに、酵(たね)いれぬパン一かご、麦粉に、
油をまぜて作る菓子、油をぬりたる酵入れぬ煎餅をもちてゆくこと」
という律法がある。

油をぬり酵いれぬ煎餅とは、実に現在の「南部煎餅」の他にはないではないか。
しかもこの煎餅の他に「酵いれぬパン」とあるのはフクラシ粉の入らぬパンの
ことであるが、彼等ユダヤ民族のためには此の南部煎餅こそ重要な
歴史的記念物である。


さてこの煎餅の模様の「松ヶ枝」は、キリストが八戸港の松ヶ崎に上陸した
その松の森の港を記念として、今日までのこし続けられたを忘れてはならぬ。

「キリストは日本で死んでいる」P199より引用抜粋




ズバリユダヤ教徒が過ぎ越しの祭で食べる、種無しパンのマッツァーの
ことであるが、
それを戸来の地でキリストが故郷の味を、麦粉を捏ね繰りまわし
再現し好んで食していたということでございます。

以前のようにカゴメ印を入れて萌キリストパッケージで売り出せば、
日本全土に住まう渡来人のDNAがじゃわめき、バカ売れするに違いない。
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