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浦子伝説考2 :: 2010/12/21(Tue)

子が持っていた玉手箱はその後
『先代旧事本記』の伊勢神宮発祥に関する記述に登場します。

玉手箱は伊勢に行って猿田彦大神がじっと守っていた。
そして通りがかった天皇家の巫女、倭姫命の前に現れて玉手箱を差し出し、
「ここに三種の神器が入っております。どうぞ」といって渡したという。


前回はここで終了しました。




猿田彦は、なぜ玉手箱を守っていたのでしょうか?



結論から申し上げると浦子の正体の一つは猿田彦であり
倭姫命に玉手箱(三種の神器)を渡したということは、
大和王朝に政権を譲ったということになります。

実際には、最終的な服従の表明が豊受大神の伊勢遷宮であります。


元伊勢である丹後与謝宮籠神社は、神代に奥宮真名井原に
豊受大神(天御中主大神)が降臨していますが

第十代祟神天皇のとき、宮中から天照大神の御神体が遷り、
四年間この地に祀られた後に垂仁天皇の御代に伊勢に遷り、
豊受大神は雄略天皇の御代に、天照大神のお告げにより伊勢に遷ったとされています。



丹後には、昔、有力豪族であった丹後王朝が存在しており、
次第に、近畿に進出してきた振興勢力である大和朝廷が勢力下に収めたようです。

各地の有力豪族の信仰を取り込み、懐柔していくことは度々行なわれました。





『日本書紀』では、浦子は雄略天皇二十二年秋七月に漁に出て
龍宮城に行ったと伝説が記載されていますが、

鎌倉時代に成立した『神道五部書』の一つ『倭姫世記』には、
雄略天皇秋七月七日に大佐々命をもって、丹後国与謝郡真名井より
豊受之大神を伊勢に迎え祀ると記されています。


期日が重なるということは、浦子伝説は、単なるおとぎ話ではなく
ベースとなる史実が元になっていることが分かります。





籠神社の宮司である海部氏は、浦子の子孫であるといわれ、
さらに日子イマス王や丹波道主命の子孫ともいわれています。

浦子は日下部首家の先祖といわれますが、これは日下部首家が
日子イマス王の子孫とされているので、浦子と日子イマス王は
同一人物ということでもあります。


従って、日子イマス王=海部の王=浦子=猿田彦が
大和朝廷に最終的な服従という形で豊受之大神を伊勢に還したという
図式が浮かび上がります。


豊受大神の伊勢遷宮のとき、世話係として自らを「ウルノフル」と呼ぶ
丹後の渡来一族が随行しています。

ちなみにユダヤ語で「ウルの王」という意味です。




伊勢神宮は、現在、内宮に天照大神 外宮に豊受大神が祀られていますが
本来は、内宮は猿田彦の社であり、外宮は宇受売命(豊受大神は同じ神である)を祀っていました。


現在は、内宮の本殿の中心から北西方向の床に天照大神の鏡をのせた
御舟代があり、その床下に猿田彦である心の御柱が天照の乗る舟を
守護している形になっています。




参考文献 日本神話のコスモロジー 平凡社 杉浦康平
     古代ユダヤ人と聖徳太子の秘密 日本文芸社 月海千峰
     かごめ歌の暗号 東京書籍 関 裕二
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