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津軽の『三四五の封印』Ⅱ :: 2011/01/24(Mon)

東北において封印を探ると坂上田村麻呂の名が何度も繰り返されますが、
そもそも田村麻呂は、歴史の上では志波城を築いただけで、青森まで来ておらず
青森県の蝦夷を平定したのは文室綿麻呂であります。


田村麻呂の伝説が各地に残るのは、
『古事記』『日本書紀』を編纂した藤原不比等によるものであり
歴史改変の事業の為、真の歴史を闇に葬った張本人であります。
(その不比等のバックには○○○が)

そして、不比等の命令で動いた実行部隊である山伏どもが
実際に各地で、坂上田村麻呂や慈覚、空海等の神社仏閣霊場創建伝説を作り上げ、
全国の主要なエネルギースポットを呪術で封印したのであります。

それは徹底したもので、明治の初め、神仏分離の時まで続けられていたことが
分かっています。


従って、本来の祀られていた神を封じ込め、その上に渡来系の神仏を祀り
真の歴史を知らされていない我々が、ご利益を求めパワースポット巡りなどして
自らの思考エネルギーで埋没神をさらに封じ込めているのが現状であります。

これこそ、カッバーラの極意であり、おそるべし不比等なのであります。



さて、津軽の『三四五の封印』の続きを解明しよう。

全国に仕掛けられている『三四五の封印』は、『三』と『五』の地名を頼りに
『四』の場所を特定し、

「日向の直角三角形の封印において4の辺上に9つのポイントがある。
うち一ヶ所で日向は封印をしており、残り8ヶ所は偽物のポイントである」


通常の『三四五の封印』は、この一箇所の封印を解除すればよろしいのですが、
ここ津軽だけは別格です。


異なる年代において天台密教最強の防御術・北斗供
いわゆる北斗七星の封印を後から施しています。


「荒俣宏 歌枕謎解きの旅」より

 熊野奥照神社の社殿によれば、津軽地方は王城の鬼門にあたることにより、
古くから鬼神の蜂起が発生して庶民をおびやかすことがあったという。
そこで津軽の阿姿羅というところに千坊の寺を建てて鬼神を平定し、
国土擁護秘法を修した。ところが鬼神の横行は一向にやまなかった。

そこで桓武天皇の時代に、田村麻呂が名を受けて官民五万八千とともに
ぴ集を攻めた。このとき、田村麻呂は閉廷した津軽に七つの社を建て、
そこに武器を遺棄して、あたかも田村麻呂将軍がこの地に常駐するかのごとくに
見せかけることにした。

田村麻呂はその際、七社を北斗七星の形に配し、星の威光を借りて鬼神を封じたという。
明治九年頃に岸俊武の「新撰陸奥国誌」に熊野奥照神社古文書から引用された
図が掲載された。それは岩木山を中心とする十二里四方の範囲に点在する
七つの神社の配置図であった。しかもその配置が北斗七星の形をなしていた。





この津軽は、日本列島の丑の方角であり、鬼門でありますが、
この鬼門に国常立命=大己貴命を幽閉し、そして厳重に封印し、
同時に祀りあげることで、
本州の北門の守りを固めたのであります。


その場所は、本州最北端の北の鎮守の霊峰岩木山
国常立命=大己貴命を幽閉したのであります。


天台密教最強の防御術・北斗供の一つにも岩木山神社が加えられ
いわば、二重の封印が施されているわけですが

あるポイントに気づき浄化しなければ、岩木山神社が開かないようになっています。



岩木山神社の元宮ともいわれる巌鬼山神社と呼ばれる神社が
弘前市十腰内にあります。

巌鬼山神社


 
当神社は、桓武天皇の御世延暦15年の草創なり、
大同2年征夷大将軍坂上田村麿公奥羽平定の時、霊験を蒙り当社を再建せり、
爾来岩木山上の社殿を奥宮、当神社の下居宮と称せり、
堀河天皇の御世寛治5年当神社より壱百の渓谷を越えて社殿を建立せしは、
今の百沢岩木山神社にして壱百の沢を越えたるを以て百沢と称せり。

 伝云、往時岩木山三所大権現(岩木山・厳鬼山・鳥海山)と称せられたりと、
厳鬼山には西方寺観音院を置き寺禄百石を賜る、
当社殿は慶長2年旧藩主津軽為信公改築せられるを、元禄2年、安政元年、
明治28年、大正10年の修繕を経て今日に至る。

-『平成祭データ』-



十腰の下居宮(現厳鬼山神社)が百沢(現岩木山神社)に遷座されていますが、

岩木山神社から北に約5キロの地点に大石神社と呼ばれる石がご神体の神社があります。

大石ライン


大石神社


大石神社の由来

 往古桓武天皇の延暦19年征夷大将軍坂上田村麿東夷勘定の時、
当山の霊験を蒙りしにより、十腰内に下居宮を建立、当時当社は
岩木山登拝口にして、巨石大余の者三四併立神体石にて、
工人群集登山の安全を祈願せり。

 堀河天皇の寛治5年十腰内の下居宮は壱百の渓潤を越せる土地、
即ち百沢に遷され跡地の社堂は岩木山三所大権現の内一社
厳鬼山御西方寺観音院として、俸禄百石を検行し巨石大石明神の信仰弥高まりたり。

-『平成祭データ』



岩木山神社と巌鬼山神社と大石神社は、東経140度20分ライン上であり
ここは神社や古代遺跡が立ち並ぶレイラインです。

140度20分レイライン


大石神社の社伝によると

十腰の下居宮(現厳鬼山神社)が百沢(現岩木山神社)に
遷座した後、大石信仰が高まっていますが、
大石神社のご神体である石に言霊による呪術を施したようであります。

石は、情報を蓄積できる非常に高度なハードディスクなのです。



従って、津軽の『三四五の封印』は、大石神社を浄化することで、
解けるのでありますが・・・
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